2019/09/30
ここでは『マインドフルネス』のもとになった、初期仏教(原始仏教とも言います)の『ヴィパッサナー瞑想』と、それを実践して悟りを開いた、お釈迦様について書いていきます。
お釈迦様の誕生
お釈迦様は今から2500年ほど前、インドのシャーキヤ族の王シュッドーダナと妃マーヤーとの間に生まれました。しかし、母マーヤーはお釈迦様が生まれた一週間後に亡くなってしまいます。
お釈迦様が誕生した時、お祝いにやってきたアシタという仙人が、
「王子(シッダールタ)は偉人の三十二相を持っている。王になれば全世界を征服する王に、出家すればブッダ(悟りを開いた人)になるでしょう。」
と予言しました。跡継ぎの王子が出家するのを恐れたシュッドーダナ王は三つの専用宮殿、贅沢な衣服や食事・世話係・教師等を与えて将来の王となるべく、教養と体力を付けさせました。
四門出遊
ある時、お釈迦様がカピラヴァストゥ城の東門から出る時に老人に会い、南門より出る時に病人に会い、西門を出る時に死者に会い、やがて自分もこのように老いも病も死もあると知り、生きることの苦しみを感じたました。
そして、北門から出た時に一人の沙門(修行者)に出会い、世俗の苦や汚れを離れた沙門の清らかな姿を見て、出家の意志を持つようになったといいます。
お釈迦様は29歳の時、妻と子供を捨てて出家いたしました。
この時、心配したシュッドーダナ王はお釈迦様を守るため5人の沙門をお供に付けました。
当時インドで沙門が修行する方法は、苦行と瞑想による方法が採られていました。
お釈迦様は、はじめにバッカバ仙人を訪れ、苦行を習い、さらにアーラーラ・カーラーマとウッダカラーマ・プッタの二人の師に瞑想を習いましたが、そのいずれも老・病・死とそれから生じる生きることの苦しみを解決できませんでした。
今まで行われてきた修行では、生老病死の苦しみから脱することが出来ないと悟ったお釈迦様は、その後6年にわたって独自の苦行を行いました。
極端な断食のために、骨と皮だけになったお釈迦様
パキスタン・ラホール博物館
出典 世界を歩く
しかし、どの苦行も体を痛めるだけで苦しみからの解脱には適さないと悟って、苦行を止めました。
35歳になったお釈迦様は、ガヤー地区のほとりを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャータから乳糜(にゅうび=乳粥)の布施を受け、体力を回復してピッパラ樹(菩提樹)の下に坐して瞑想に入りました。
乳糜(乳粥)は米をミルクで炊いたものです。インドでは地方によっていろいろな種類があります。下のサイトに詳しく載っていました。
インド料理の乳粥(ライスプディング 「キール」)
いろいろな種類があって、どれも胃に優しく、おいしそうでした。
出典 Wikipedia
お釈迦様が苦行を止め、村娘から乳粥の供養を受けたのを見た5人の比丘たちは、お釈迦様が苦行に耐えられず堕落したと思い去っていきました。
ピッパラ樹(菩提樹)の下で瞑想に入ったお釈迦様は、ひたすらに自分の心の動きを観察し続けました。
そして老・病・死の苦しみが、それらを恐れる自分の心が作り出したことに、気づいたのでした。
人間である以上、老・病・死の苦しみは無くすことはできませんが、それを当然のこととして受け止められるようになり、苦しみから解放されました。
この時行っていた瞑想が、『ヴィパッサナー瞑想』です。