2019/09/30
瞑想はマインドフルネスのための道具です。
今までいろいろな「瞑想」の練習をしてきましたが、「瞑想」は目的ではありません。「今、ここ」で何をしているか、何を考えているか、を「気づく」ための練習です。
この「気づいている」状態が、マインドフルネスです。
今までいろいろな瞑想をやって来ましたが、普段歩いているとき、食べる時、息をするとき、寝ているとき、いちいち気づかないで行ってきたことが、分かったと思います。
この気づかないでいろいろ行動したり、考えたりすることを「自動運転モード」又は「自動操縦モード」と言います。
実は、普段無意識なうちに行動したり、考えていたりする「自動運転モード」が曲者なのです。
この自動運転モードで考えたり行動したりしてしまう結果、ストレスが生まれ、苦しんでしまうことになるのです。
ストレスとは何か
精神緊張・心労・苦痛・寒冷・感染などごく普通にみられる刺激(ストレッサー)が原因で引き起こされる生体機能の変化。一般には、精神的・肉体的に負担となる刺激や状況をいう。 「 -を解消する」
これでも分かりにくいのですが、生きていくうえで負担になる精神的な出来事や苦しみとしておきます。
ストレスという言葉は、1930年代のハンス・セリエの研究に起源を持つとされています。(出典ウィキペディア)
昔はストレスがないかというとそういうことはなく、2600年も前からお釈迦様が「生きていくことは、苦しみの連続である」として「四苦八苦」を説いています。
急に仏教臭くなりますが、マインドフルネスが仏教のヴィパッサナー瞑想をもとにして作られているので、ここは我慢して付き合ってください。
四苦八苦(しくはっく)とは、仏教における苦の分類。
根本的な苦を生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)の四苦とし
生…生まれること。
老…老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
病…様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。
死…死ぬことへの恐怖、その先の不安。
根本的な四つの苦に加え、愛別離苦(あいべつりく) … 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) … 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) … 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) … 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと
の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。引用ウィキペディア
「生」に関していえば、生まれることよりも、この世に生を受けて死ぬまで生き続けていくことが、苦しみだという意味に取りたいです。
この中であまりなじみのない言葉が「五蘊(ごうん)」です。
五蘊とは
五蘊は次の5種である。「色」は物質的存在を示し、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示す。人間の心身の機構を羅列的に挙げ、それによって人間の生存およびその環境の全てを表そうとしたものである 。
色蘊(しきうん、巴: 梵: rūpa) – いろ、形あるもの。認識の対象となる物質的存在の総称。一定の空間を占めて他の存在と相容れないが、絶えず変化し、やがて消滅するもの。
受蘊(じゅうん、巴: 梵: vedanā) – 感受作用。肉体的、生理的な感覚。根(六根)と境(六境)と識(六識)の接触和合から生じる苦・楽・不苦不楽などの印象、感覚。
想蘊(そううん、巴: saññā, 梵: saṃjñā) – 表象作用。概念的な事柄の認識。事物の形象を心の中に思い浮かべること。
行蘊(ぎょううん、巴: saṅkhāra, 梵: saṃskāra) – 意識を生じる意志作用。意志形成力。心がある方向に働くこと。
識蘊(しきうん、巴: viññāṇa, 梵: vijñāna) – 認識作用。対象を得て、区別して知るもの。
引用ウィキペディア
眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚、寒暑、痛覚等)の5つ感覚器官から受ける、人間の感覚とそれによって起こる心の動きです。
「老」「病」「死」の苦しみはすべての生き物にとって、避けられないものなので、そういうものだと思って、諦めてもらうしかないですね。
話がそれますが、「不老不死」と言って思い浮かべるのは、曲がりくねった杖をついて、白くて長いひげを生やし、今にも死にそうな爺さんが出てくるのは、なぜだろう。「歳とってるじゃん」と、突っ込みたくなります。
「老」「病」「死」以外の苦しみは、「心」が関係しているので、「心」が変われば苦しみを感じなくなるか、和らげることが出来るようになります。
というのがお釈迦様の教えで、苦しみを産んでいるのが自分の心であると「気づく」方法がヴィパッサナー瞑想であり、気づいている状態がマインドフルネスなのです。