マインドフルネスの活かし方

幸せになるには、お金よりも心を変えることが大事です

第12章 「気づく」となぜ「苦しみ」がなくなるのか?

time 2019/06/21

第12章 「気づく」となぜ「苦しみ」がなくなるのか?

達磨安心 「だるまあんじん」と読みます

またまた仏教の話ですみません。不安や迷い、苦しみは自分の「心」が作り出したものである、というお話です。

(『無門関』 第41則)

達磨 面壁す、
二祖、雪に立ち、臂を断つて云く、
「弟子、心未だ安んぜず、乞う師安心せしめたまえ。」

達磨云く、「心を将(も)ち来たれ、汝が為に安ぜん。」
二祖云く、「心をもとむるに了(つ)いに不可得なり。」
達磨云く、「汝が為に安心せしめ竟(おわ)んぬ。」

(達磨禅師が坐禅をしている時、
二祖(慧可)が雪の中に立って自分の腕を切り落として曰く、
「心が不安なのです。どうか師よ、安心させてください」

達磨「そうか、その安からぬ心をここに持ち出して御覧なさい。
お前のために安心させてやろう」

慧可「心は実在の無いものですから、持ち出すことはできません」

達磨「そうか、不安な心は無いのだったら、もう安心だ」

引用 日本茶道塾

達磨とは、起き上がりこぼし(小法師)のダルマさんで有名な達磨大師です。

月岡芳年筆 – 『月百姿』の内達磨を描いた「破窓月」1887年(明治20年)刊

出典ウィキペディア

達磨大師は西域南天竺国の香至国(こうしこく)の国王の第三王子として生まれ、お釈迦様の10大弟子で禅宗の初祖とされる摩訶迦葉(まかかしょう)尊者から28代目の祖師です。当時インドで衰退していた仏教を復興させ、その後禅宗を広めるため中国にわたり、中国禅の初祖となられます。

西域というのは西インドからパキスタン・イラン・イラク・アフガニスタンの西アジアの地域を指します。ですから達磨さんの顔が、鋭い目つきや、濃いひげ、眉毛等、ペルシャ人的な容貌を持っているのはそのためです。

その頃の中国は南北朝の時代で、南朝の梁(りょう)を治めていたのが、中国の歴史上、最も仏教を奉じていたことで有名な梁の武帝でした。天竺から構想が到着したことを知った武帝は達磨大師を宮殿に迎い入れ会談しました。

その時の問答が、景德傳燈録第三巻に残っています。

帝問曰 朕即位已來 造寺寫經度僧不可勝紀 有何功德
師曰 並無功德
帝曰 何以無功德
師曰 此但人天小果有漏之因 如影隨形雖有非實
帝曰 如何是真功德
答曰 淨智妙圓體自空寂 如是功德不以世求
帝又問 如何是聖諦第一義
師曰 廓然無聖
帝曰 對朕者誰
師曰 不識
帝不領悟
師知機不契 景德傳燈録第三巻
帝問うて曰く「朕即位して已来、寺を造り、経を写し、僧(僧伽、教団)を度すこと、勝(あげ)て紀す可からず(数え切れないほどである)。何の功徳有りや」
師曰く「並びに功徳無し」
帝曰く「何を以て功徳無しや」
師曰く「此れ但だ人天(人間界・天上界)の小果にして有漏の因なり(煩悩の因を作っているだけだ)。影の形に随うが如く有と雖も実には非ず」
帝曰く「如何が是れ真の功徳なるや」
答曰く「浄智は妙円にして、体自ずから空寂なり。是の如き功徳は世を以て(この世界では)求まらず」
帝又問う「如何が是れ聖諦の第一義なるや」
師曰く「廓然(がらんとして)無聖なり」
帝曰く「朕に対する者は誰ぞ」
師曰く「識らず(認識できぬ・・・空だから)」
帝、領悟せず。師、機の契(かな)はぬを知り

禅宗は、達磨大師が中国に入る300年も前に伝わっていました。武帝との会談で中国では仏教にご利益を求め、悟りを求めていないことを知った達磨大師は、北朝の魏の嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)に移り、座禅の修行をしながら機が熟すのを待つことにしました。

達磨大師が座禅に入ってから9年目の雪の降る12月、神光(じんこう)という若い僧が弟子入りを願いに来ました。

達磨大師は弟子入りを許さず、そのまま外に待たせてしまいます。翌朝雪に埋もれた神光は、覚悟のほどを示すため小刀で自らの左肘を切り、達磨大師に差し出しました。これを見た達磨大師は、神光という名を慧可と名付けて弟子にしました。

この時の問答が、達磨安心の文章です。

達磨大師は

「お前の悩んだり、苦しんだりしている心を、わしの前に出して見ろ。そしたら安心(あんじん・悩みや苦しみから解き放されて心安らかな状態。涅槃や悟りの世界)させてあげよう」

と、言いました。

そして、慧可は「苦しみ」が自分の心が作り出した妄想であり、モノとしての実体がないことに「気づき」、差し出すことが出来ないことを悟ったのでした。

これを見て取った達磨大師は、慧可に対して、すでに安心の境地にいることを告げました。

この後も慧可は修業を積み、中国禅宗の二祖、正宗普覚大師となりました。

五代十国時代の後蜀の人、石恪(せきかく)の作と伝わる。二祖慧可(隋代の禅僧)の図

出典ウィキペディア

というわけで「苦しみ」は自分の心が作り出した妄想であることが分かり、「苦しむ」から「苦しい」のであって、苦しまなければ良いので、後は楽に生きて行けることが理解したところで、問題は無事解決(拍手!!)。

出来ないんですよね~、これが。

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