マインドフルネスの活かし方

幸せになるには、お金よりも心を変えることが大事です

怒らない方法

time 2019/09/01

怒らない方法

「怒り」は当人だけではなく、周囲の人の幸せも破壊する

今年、2019年も上半期を過ぎ、信じられない大きな事件がありました。

川崎市登戸通り魔事件
5月28日、神奈川県川崎市の登戸駅付近の路上で、スクールバスを待っていた児童や保護者らが、近づいてきた男に相次いで刺される事件が起きました。児童と保護者の2人が死亡、18人が負傷しました。

犯人はその場で自分の首を切り自殺したため、動機は分かりません。

襲撃に使用した2本の柳刃包丁の他に、リックから別に2本の包丁も所持していました。この4本の包丁のうち2本は事件の3か月前に購入しており、かなり前から襲撃を計画していた可能性があります。

京都アニメーション放火事件

7月187日、京都市伏見区の京都アニメーションの第1スタジオに男が侵入し、ガソリンを撒いて放火しました。このため同社社員のうち、35人が死亡、34人が負傷、犯人の男も全身に大やけどを負いました。

男は逮捕時に「パクりやがって」と声を上げていたのは、同社主催の「京都アニメーション大賞」に学園物の長編小説と短編小説を応募していましたが、第1次審査で不合格となったことが原因とみられています。

このほかにも児童虐待や、あおり運転トラブルなどの事件がありますが、どれも「怒り」などで、理性の抑えが利かなくなった状態で起きています。

 

と言うわけで、皆が「怒り」に身を任せなければ、このような悲惨な事件が起こらず、安心して平和に暮らせることが出来るので、「怒る」のを止めましょう。

となればよいのですけど、そうはいかないのですよね~。

「怒り」の元は「苦」と「欲」

「苦しみ」はなぜ生まれるのか

ここから先は、初期仏教のお釈迦様のお話になります。マインドフルネスが初期仏教のヴィパッサナー瞑想から来ていますので、我慢してください。

仏教の教えの根本となっているのが、すべての物事は一瞬一瞬変化していて、常に同じではないという、「無常」の教えです。

美しい花も、やがて枯れてしまいます。若く元気な人でも、やがて年老いていきます。それどころか大きな病気や、事故によって突然死んでしまうこともあります。また、いくら長生きしても、結局は死んでしまうのです。モーゼやキリスト、ムハンマド、お釈迦様でも死んでいます。人類がこの世に現れてから、現代まで生きていた人は、誰もいません。これが事実です。

でも、多くの人は死ぬのは嫌だと思っています。この「嫌」と言う思いが「苦」です。ですから、お釈迦様は『生きることは苦である』と教えています。

これが「生老病死」の4つの苦しみ、四苦です。

また、どんなに一緒にいたいと思っていても、いつかは分かれてしまいます。反対にどんなに会いたくない人でも、会わずにはいられない羽目になります。

お金がいっぱいあり、好きな事だけをして暮らせることが出来ても、自分の思うままにならないことが有ります。たとえば、永遠の若さであり、永遠の命です。

毎年夏になれば暑くなり、冬になれば寒くなります。傷を負えば痛くなり、暗くなれば見えなくなります。どんなに嫌だと思っても、こればかりはどうにもなりません。このように感覚からくる苦しみを「五陰盛(ごおんじょう)苦」と言います。

先の「生老病死」の4つの苦しみと、「愛別離苦」・「怨憎会(おんぞうえ)苦」・「求不得(ぐふとく)苦」・「五陰盛(ごおんじょう)苦」の4つの苦しみを合わせて、「四苦八苦」と言います。

生きることは苦しみの連続だと、お釈迦様は言っています。

何故「苦しみ」が生まれるのかと言いますと、物事は常に変化して、いつまでも同じ状態にないという「無常」の教えを理解しないで、これと反対のことをしようとするところから、始まるのです。

 

「苦しみ」から「欲」が生まれ、「欲」から「怒り」が生まれる

人は皆、「幸せでいたい」や「いい気分で過ごしたい」との思いがあります。ですから仏教で、今は幸せで良い気分でも、それは長続きしません、いつかは失われてしまいますと、言われても信じたくないのです。

そして、お釈迦様が生きていることは苦しむことだ、と言っても「苦しみ」を嫌がって、それを避けようとします。この「嫌だ」という気持ちから、それを避けたいという「欲」が生まれ、「欲」が叶えられないとき「怒り」が発生するのです。

それと、もう一つ、「苦しい」とか「嫌だ」と思うのは誰か?、と言うことです。それは自分です。もっと詳しく言うと、自分の感情がそう思うのです。

 

私のブログの

第16章 ポジティブな自分に変えるには? ジャーナリング

に足の痛みに耐えかねた男の人の話があります。その人は足の痛みに耐えられなくて、「マインドフルネス ストレス軽減法」の治療を受けに来ました。

最初の日は車椅子に乗ってきました。次の日は松葉杖でやって来ました。しばらくすると、杖だけで歩いて来るようになったのです。

その人の話では、足の痛みは変わらないけど、マインドフルネスによって痛みに対する取り組み方が変わり、痛みが深刻な問題ではないことに気づいた、と言うことです。

 

ここで大事なのは「足が痛い」と言う事実です。そこに「私」が入って「私は足が痛い」「私の足が痛い」となると、となると「私=足の痛み」となり、体全体が「足の痛み」に乗っ取られてしまいます。「足の痛み」が身体全体を支配して、我慢できなくなってしまったのです。

森鴎外の作品に「寒山拾得」があります。

この小説の初めに県の偉い役人が、ひどい頭痛に悩まされている話があります。そこに一人の僧侶がやって来て、托鉢用の鉢に水を一杯入れて、静かに役人の前に立ち、鉢の中の水を眺めはじめました。

役人も僧侶がずっと鉢の中の水を見続けているので、そばに行って鉢の中を覗き込みました。その時、僧侶は鉢の水を役人にかけて、こう言います。

「あなたの、頭痛は去りました」

その時役人は、ハッと気が付きました。頭痛が消えていたのです。

この役人も毎日、「頭が痛い」、「頭が痛い」、「頭が痛い」と考え続けているうち、「頭の痛み」に体を乗っ取られてしまったのです。

 

冒頭の2つの事件の場合で行くと、初めは「気に食わない」「騙された」「嫌いだ」「憎い」等、些細な事でしたが、考え考えしていくうちに、自分がひどい目にあっているのは「社会」や「会社」せいだと考えるようになります。

そして、「社会」や「会社」によってひどい目にあったのだから、それに対して復讐をするのは、良いことだと思うようになっていきます。

自分が復讐するのは良いことだと考えますから、ここまでくると歯止めがききません。あとは何日も、何ヶ月もかけて、復讐の計画を練り、実行するだけです。

個人でもこうですから、一国の指導者がこう考え実行したら、どうなるでしょうか。考えるまでもなく、恐ろしいことが起こります。

このように「怒り」は大きな破壊力を持っています。それにはまず怒らないこと、怒ってもごく小さいうちに。それを鎮めることが大切です。

次は、「怒り」を納め、鎮める方法を考えていきます。

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