2019/09/30
「こころ」の大人になる
5回にわたって「幸せになる心と、不幸になる心」について書いてきましたが、共通するのは「感情」のままに生きていくと、不幸になることです。
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の三毒
三毒とは人間の諸悪、苦しみの原因となる3つ煩悩を指します。
三毒を構成する三つの煩悩とは
- 貪(とん) 貪欲(貪欲)の貪です。一般的に激しい欲望、貪り(むさぼり)。また、一度手にしたものを離さない、物惜しみ、ケチ、吝嗇もこの仲間に入ります。
- 瞋(しん) 瞋恚(しんに)の瞋です。怒り、腹立ちの他に、恨みもこの中に入ります。
- 癡(ち) 愚癡(ぐち)の癡です。痴とも書きます。釈迦様の説いた真理を理解しない無知の心です。
このうち「欲」と「怒り」は前に書いてありますが、一度手にしたものを手放さないのも「欲」ですし、過去の「怒り」を何度繰り返し思い出す「恨み」も形を変えた「怒り」です。
正直者はバカを見る
三番目の「癡(ち) 」に出てくるお釈迦様の真理とは「縁起」です。
縁起とは
これあればかれあり。これ生ずるが故にかれ生ず。
これなければかれなし。これ滅するが故にかれ滅す。
です。
美しい景色を見たり、楽しい音楽を聴いたり、いい匂いに包まれたり、おいしい物を食べたり、気持ち良い感触を感じたりして、それをさらに求めることから「欲」が生まれます。
反対に、汚いものを見たり、人から悪口を聞いたり、臭い匂いをかいだり、まずい食べ物を口にしたり、体にひどい痛みを感じたりして、「嫌いだ」「嫌だ」との思いが生じ、それを遠ざけようとする思いが、激しくなると「怒り」になります。
眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)の感覚器官からの刺激により、「嫌いだ」「苦しい」との思いが生じ、それが強くなると「怒り」になり、「好きだ」「楽しい」との思いが生じ、それが強くなると「欲」になります。
「人間は正直に生きなくてはいけない」といいますが、赤ん坊や小さい子供なら「好き」「嫌い」の感情に正直に生きても許されますが、大の大人が正直に生きてしまうと、とんでもないことになります。
自分は心の欲するまま正直に生きることは、ものの道理をわきまえない「癡=無知」な生き方です。
お釈迦様は、悪い心の状態について、こう聞いてきます。
「欲」が強くなると、自分の持っているものだけでは満足できなくなり、人のものを盗るだけではなく、取るために人を傷つけたり、はては殺したりさえします。
そして、そのような生き方は良い生き方ですか、悪い生き方ですか。
このような生き方をしている人は、幸福ですか、不幸ですか。
「怒り」も同じです。恨みや憎しみが強くなると、喧嘩が始まり傷つけ合いや殺し合いになってしまいます。
そして、そのような生き方は良い生き方ですか、悪い生き方ですか。
このような生き方をしている人は、幸福ですか、不幸ですか。
「欲」に目がくらんだ時や、「怒り」狂っている時は周りのことに気が回らず、右も左も分からずに突き進んでしまいます。これが「無知」です。
そして、そのような生き方は良い生き方ですか、悪い生き方ですか。
このような生き方をしている人は、幸福ですか、不幸ですか。
次にお釈迦様は、良い心の状態について、こう聞いてきます。
貪る心を捨て、欲張りもせず、人のものを盗もうともせず、人殺しもしない。逆に物惜しみをなくし、困っている人を助ける。
そのような生き方は良い生き方ですか、悪い生き方ですか。
このような生き方をしている人は、幸福ですか、不幸ですか。
怒りの代わりに、慈しみの心を持ち、生きているものに優しく接し、嘘も言わず、他人の迷惑にならず、殺傷もしない。
そのような生き方は良い生き方ですか、悪い生き方ですか。
このような生き方をしている人は、幸福ですか、不幸ですか。
しっかりした心を持ち感情に流されず、いつもきちんと冴えた心で物事を判断し、行動的に活発に、明るく元気で、みんなで助け合って生きていく。
そのような生き方は良い生き方ですか、悪い生き方ですか。
このような生き方をしている人は、幸福ですか、不幸ですか。
お釈迦様は「ああしろ」とか「こうしろ」とかは言いません。どうすればよいかは、あなたが判断して、あなた自身が決めることです。
三毒に穢されているかどうか知るには、ヴィパッサナー瞑想をして自分の心をよく観察することです。